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熱海今昔物語 3度目のブーム到来か

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1度目は戦後の新婚旅行ブーム
およそ1500年前の奈良時代、海中から熱湯が噴き出したのが開湯とされ、江戸時代には家康をはじめ家光、家綱、吉宗らがこの湯を好み、大湯(元湯、湯本のこと)一帯が幕府直轄の天領となり将軍湯殿も建てられた歴史があり、当時の温泉番付では別格扱いの「行司」にランキングされていた。       
明治16年には、大湯を引いた将軍湯殿の敷地が岩崎弥太郎の三菱合資会社から天皇家に献納されて御用邸となり、病弱な大正天皇が皇太子時代に湯治に訪れた。そして皇族の別邸が多く建てられると、民間の富豪もこれにならい別邸をこぞって建てた。庶民用の温泉宿も多数建てられ、「新婚旅行は熱海!」というPRが効果を上げ、戦後から1960年代までは新婚旅行のメッカなった。             
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市役所敷地内の御用邸跡(左)昭和6年まで存在

マンション敷地内に立つ皇室別荘の碑(中央) 江戸時代の温泉番付(右)

しかし、昭和25年など度重なる大火に見舞われ、当時の木造旅館は温泉街には残っていない。一方で当時から歓楽温泉としてにぎわい、芸者衆も数多くいた。赤線地帯もあり二階で客をとった建物(カフェ建築)は、別の店舗となって名残りを残す。

熱海の芸者見番(左)赤線地帯の名残りの渚町のカフェ建築(右)

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2度目はバブル景気
80〜90年代のバブル期には企業保養所が多く建てられ、さらに忘年会や慰安旅行などで宿泊する客で賑わった。今でもジャイアンツが納会をニューフジヤで催すのもその名残り。当時はセクシーコンパニオンも人気で、宴会場は盛り上がり、二次会ではストリップ鑑賞または風俗店に、翌日は熱海城の秘宝館に寄るというのが定番だった。ストリップ劇場と秘宝館がかろうじて健在、風俗店も営業している。                                    
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銀座通り商店街にあるストリップ劇場

けれどもバブルがはじけて以降、小さな旅館のみならず玉屋旅館や岡本旅館など大きなホテルも倒産し、企業の保養所も多くが売り渡された。こうして廃れて以降、廃墟が熱海を象徴し、駅前や海岸に向かう商店街も人通りがまばらとなっていった。

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1階は喫茶店などの店舗、2階より上は事務所や住居だった雑居ビル。今は数戸の住人と1階を駐車場として活用するのみ。「近代店舗」の文字がシュールだ。通りの向かいにあるうなぎ屋も廃業して久しい。

3度目は安近短と市の観光課のPR効果
廃れた温泉場の熱海は、その廃れ具合がマニアに受け、また東京から同じ距離の箱根が高級路線に向かうのに対し、熱海は素泊まり4000円などの宿を目当てに、安近短の長所から学生の卒業旅行で春先に訪れ、夏は花火と海水浴で賑わう程度だった。そこで市の観光課が、マスメディアに対してロケ地の仲介など取材対応を24時間受け付けるようになったことから徐々に脚光を浴びるようになった。こうして廃墟だった大型ホテルの跡地が駐車場や温泉付きマンションになるという再開発ブームが到来した。一方、小さな旅館や保養所や別荘の廃墟はわずかに残っている。        
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今夏、駐車場となった玉屋旅館跡(左) 市の所有地になった岡本旅館跡(右)

ともに壁のみが面影を残す

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